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札幌高等裁判所 昭和56年(行コ)7号 判決

控訴人(第一審被告)

倶知安労働基準監督署長井田昭夫

右指定代理人

金田茂

葛西勝

本間勝弘

細谷勇

安保博光

被控訴人(第一審原告)

佐々木久美子

右訴訟代理人弁護士

村岡啓一

上田文雄

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  申立

(控訴人)

主文同旨の判決を求める。

(被控訴人)

「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」旨の判決を求める。

二  主張

当事者双方の事実上の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決四枚目表九行目に「頭部打僕」とあるのを「頭部打撲」と改める。)。

(被控訴人)

1  請求原因1の事実につき、次のとおり主張を付加する。

「明の死因は、頭部損傷に起因する急性脳死の範ちゅうに属するもので、その直接的死因は、外傷性脳出血又は急性硬膜外血腫とみるべきである。」

2  控訴人の後記自白の撤回には異議がある。

(控訴人)

1  被控訴人の付加主張事実は否認する。

2  さきに、請求原因1の事実中、明の死因が「脳出血」であるとの事実を認めたが、その自白を撤回し、右事実は否認する。

3  次のとおり、控訴人の主張を付加する。

(一) 明の死因について

明は、午前中二試合に出場した後、午前一一時ころに昼食を摂ったが、その際、自己の分のみでは足りず、他の人から分けてもらって食べ、また、昼食後のフリーバッティングに参加していたうえ、午後の試合にも代打として出場し、その後は芝生の上に横になって試合を観戦していた。しかして、午後一時五〇分ころ、意識障害に陥っているところを発見されたものであるが、それまでの間、頭痛、嘔吐、麻痺等の身体的異常は何ら発現していなかったものであって、右のような異常を通常伴う外傷性硬膜外血腫の症状は一切認められなかったものであるし、その意識障害も段階的に発現したものではなく、右時刻ころに突然発生したと考えられるから、午前中の試合出場中に頭部を強打して脳挫傷を生じたものとするには、受傷直後から意識障害を伴うことが多いとされる急性外傷性脳内出血の発症状況とも時間的に一致しない。

ところで、臨床医学的には、本件死因として、他に心臓発作の可能性があるほか、脳血管障害たる脳出血、脳梗塞及びクモ膜下出血等も考えられるところであって、明の前記死亡に至る経緯、症状をみる限り、その死因を外傷性脳内出血ないし硬膜外血腫とすることは否定的に解される。

(二) 明の頭部骨折について

一般に、外傷性脳内出血ないし硬膜外血腫が生ずる場合には、脳実質の損傷あるいは、少なくとも頭蓋骨骨折が存在することが指摘されるところ、本件ソフトボール大会が開催されたグランドは、雨が降ればぬかるむような土質であって、明が転倒した程度で右の骨折を生じること自体考えられない。

(被控訴人)

次のとおり、控訴人の主張に対する反論を付加する。

1  本件においては、明の死因につき、臨床医学的に考察対象とさるべき事態の推移が明らかでないが、このことは、脳出血あるいは硬膜外血腫に特徴的な諸症状があったものか否かが明らかでないというにとどまり、被控訴人主張の死因を推定するにつき、明白に矛盾する事実は何ら存在しない。

2  しかして、明は、午前中の試合に出場中、数度転倒した際に頭部損傷を生じたものであって、その後、昼食時に既に寒気を覚えるなど若干の体調異常が現われていたものであり、午後の試合に出場中に右の体調異常が進展したことを自覚し、自ら試合出場を断念して芝生に横臥している間に症状が展開したものである。従って、午後一時五〇分ころに明の異常状態が発見された時には、既に末期的状況にあったものであるから、その頭部損傷と発症との時間的接着性及びその間の症状の経過からみて、明の死因が外傷性脳出血又は急性硬膜外血腫であるとすることに何ら矛盾はない。

三  証拠関係

本件訴訟記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1の事実中、被控訴人の夫明が喜茂別生コン株式会社(以下、単に「会社」という。)に雇傭され、工場長として勤務していたこと、同人が昭和五三年一〇月一日会社の業務命令に従って本件ソフトボール大会に参加したこと、そして、ソフトボールの競技中に数度にわたり転倒し、また、他の出場者と衝突したこと、同人は、同日午後一時五〇分ころ呼吸困難に陥って、救急車で植田整形外科医院に搬送されたが、同日午後二時一〇分植田義文医師により、既に死亡していることが確認されたこと並びに請求原因2の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実によれば、明が、いわゆる業務遂行中に死亡した場合にあたることは明らかであるから、右明の死亡が業務と因果関係があるということができるか否かにつき、以下判断する。

二  先ず、明の死亡に至るまでの経過及び死因について検討する(なお、控訴人は原審において、被控訴人の請求原因1の事実中、明の死因が「脳出血」であるとする主張事実を認めながら、当審において右自白を撤回し、被控訴人において右自白の撤回に異議を述べたが、本件請求原因における主要事実は、明の「業務上の死亡」であって、前記自白にかかる明の死因が「脳出血」であるか否かは、右主要事実における業務と死亡との因果関係を認定する資料となり得べきいわゆる間接事実にすぎないのであるから、かかる間接事実についての自白は、裁判所を拘束しないのはもちろん、自白した当事者をも拘束するものではないと解するのが相当であり、控訴人の右自白の撤回は何ら妨げない。)。

1  前記当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  明は、コンクリート技士の資格をもち、昭和四九年六月以降会社の工場長となり、生コンの配合の計算、来客の接待等の管理業務に従事していたもので、死亡当時三六歳、平素の健康状態は、健康診断を受けていなかったこともあり、血圧その他の体調は明らかでないが、外見上は健康体で、高血圧の素因又は基礎疾病の存在を疑わせる既往歴はなく、体格は、身長約一七五センチメートル、体重約八〇キログラムで肥満体に属し、それを意識して時折り朝の体操あるいはジョギング等をするようになっていた。

(二)  明は、本件死亡当日は午前七時ころ起床し、平素と変らぬ態度で午前七時四〇分ころ自ら会社の車を運転して家を出たが、その前日までの勤務先の状況、家庭生活等では、格別、精神的・肉体的疲労の蓄積があった様子は窺われなかった。

(三)  本件ソフトボール大会は好天に恵まれ、午前八時三〇分ころから午後一時三〇分ころまでの間に、倶知安町立北陽小学校グランドにおいて、同グランドを二面に分けて各五試合が行われたが、明が勤務していた会社のチームは、午前中は第一面の第一試合と第二面の第二試合に、また、午後は第一面の第四試合と第二面の第五試合の全四試合に順次出場した。

明は、途中運動着を買ったりして、試合開始に約三〇分遅れて午前九時ころグランドに到着し、直ちに右第一面の第一試合に途中から参加した後、引き続き第二面の第二試合にも出場し、ライト或いはレフトの守備位置についていた。

(四)  ところで、明は、前記第一試合に出場中の午前九時三〇分ころ、フライを捕球しようとして両手を挙げて背走した際に後ろ向きに転倒し、また、右試合中に走塁の際、二塁ベース近くで前のめりに転倒したほか、前記第二試合に出場中には、フライを捕球しようとして打球を追った際、同じく打球を追って走って来たセンターの守備者と衝突したこともあったが、いずれの場合も負傷した様子もなく、そのまま競技を続けていた。

(五)  右二試合を終えた後、会社チームは午前中の対戦予定がなかったため、明は、同僚らとともに午前一一時ころから昼食を摂り、約四〇分の昼休をとったが、その際「寒けがする」などと言っていたもののさしたることもなく、その後打撃練習に参加し、午後零時三〇分ころから開始された第一面の第四試合にも先発出場してレフトの守備位置についていたが、間もなく体具合が悪いといって同僚と守備を交替し、代打として一・二回打席に立った後は競技から退き、以後グランドわきの芝生で観戦していた。

(六)  その後、午後一時五〇分ころに至り、明は右芝生の上で呼吸困難に陥り、大きないびきをかき、殆んど意識を失っているところを初めて発見され、約一五分後に植田整形外科医院に搬送されたが、既に顔面蒼白で瞳孔拡散し、脈搏・心音もなく、呼吸は停止していたため、植田義文医師により、同日午後二時ころに死亡したものと診断された。そして、その際右医師が明の死体を検案(視診)したところでは、頭部等に外傷の所見は認められなかった。なお、同医師は、脳出血患者の診断例は全くなかったものの、身体所見、急死状態等の状況から一応脳出血死と診断して死亡診断書を作成したが、脳出血死を確認するに足りる資料はなかった。

(七)  明は、ソフトボール競技中は勿論、昼食時及びその後も、右のように意識不明の状態となっているところを発見されるに至るまでの間に頭痛を訴え、或いは嘔吐、麻痺等の身体的異常を示す徴候は全くなかった。

以上のとおり認められ、右認定事実によると、明は、ソフトボール競技に出場した当時には、運動疲労によって生命の危険を招くような特段の疾病を有する状態にはなかったものと考えられ、その死亡の約一時間余の前までは意識清明な情況にあり、その死亡原因となった疾病は全く突発的に発生したものと推認するほかはない。

2  被控訴人は、明が、午前中の試合出場中に数度にわたり転倒した際に頭部を強打して頭部に損傷を生じ、これがため外傷性脳出血又は急性硬膜外血腫を惹起して死亡したものである旨主張するので案ずるに、鑑定人都留美都雄の当審における鑑定の結果並びに証人都留美都雄の証言によれば、一般に、外傷性脳内出血は、脳実質そのものの外傷によって生じた出血の増大によって脳内出血を惹起するもので、受傷直後から意識障害を伴うことが多いとされ、また、急性硬膜外血腫は、その出血の原因として、〈1〉硬膜動静脈及び分枝の破裂、〈2〉頭蓋内静脈洞外壁の破裂、〈3〉頭蓋骨骨折部の板間静脈からの出血、〈4〉骨と硬膜との間のずれ、があげられ、このうち、〈4〉の場合は幼小児に見られるもので骨折は認められないが、右〈1〉ないし〈3〉の場合はいずれも頭蓋骨骨折があって、それに伴って右各血管の破裂等を生ずるものとされるところ、本件において、明は、前認定のように球技中に転倒したことは明らかであるところ、フライ捕球の際の背走中の転倒については、その状況から頭部打撲を疑わしめるものではあるけれども、(人証略)によると、明は、背中から転倒したはずみで一回転して立ち上がり、そのまま競技を続けた事実が認められるから、その際脳損傷若しくは頭蓋骨骨折等脳内出血、急性硬膜外血腫を惹起するような傷害を生じたものとは到底認め難い。ところで、(証拠略)によれば、明の死因は、脳出血死と記載されているものの、右記載に至る経過は前認定のとおりであり、これのみをもっては、(証拠略)に照らし、直ちに外傷性脳内出血の認定資料とはなし難く、かつ、また、(証拠略)によれば、同人は平素から高血圧症であったことを疑わしめる記載もあり、同人の死因を被控訴人主張の疾病によるものであることを確認せしめるに足る資料はないので、被控訴人の右主張は肯認することができない。

3  そうすると、前認定のような明の死亡に至る経緯、情況と前記証人都留美都雄の証言によれば、明の死亡は、脳血管障害の如き急性の意識障害を惹起する何らかの疾病の突発に因るものとみるほかはないところ、それが直接又は間接に本件ソフトボール競技に出場したことによって誘発されたと認めさせるに足る証拠はないから、明の死亡を業務と因果関係があるものということはできない。

三  以上の次第で、控訴人が、明の死亡は業務起因性が認められないので被控訴人に対し遺族補償給付及び葬祭料を支給しない、とした本件処分は相当であって、被控訴人主張の違法はなく、本訴請求は理由がない。

よって、これと異なる原判決は不当であるから、民事訴訟法三八六条によりこれを取り消して被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 瀧田薫 裁判官 吉本俊雄 裁判官 和田丈夫)

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